日本における歯科治療の歴史

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お歯黒の習慣

日本では弥生時代以降、お歯黒の習慣が始まりました。お歯黒の習慣は明治時代にまで続きます。お歯黒の起こりは日本古来からあったという説(日本古来説)、南方民族が持って来たという説(南方由来説)、およびインドから大陸、朝鮮を経て日本に伝わったという説(大陸渡来説)があります。

お歯黒の習慣が定着したのは、何百年もの間、漆黒が美しい色と見なされてきたことが理由の一つとされていて、平安時代には貴族階級の間に広がり、男女ともに十七~十八歳で歯を黒く染めることで、成人であることを表していました。その後、時代とともに染めはじめる年齢が低くなり、室町時代には十三~十四歳に、戦国時代になると武将の家に生まれた娘などはは早く政略結婚させるために八歳で染めていたといいます。江戸時代に入ると上流社会の生活様式がしだいに一般庶民にも浸透しはじめ、お歯黒は元禄時代には全国各地に広がっていき、この時期から男子のお歯黒は姿を消したのです。

女子だけのものになったお歯黒ですが、緻密なエナメル質を染めるのは、なかなか大変な仕事だったため庶民に広がってからは、女性によって人生の大転換期である婚約・結婚を迎えたときに初めて染める風趣となり、ついには既婚女性の象徴となりました。黒は何色にも染まらない色なので、貞操を意味し既婚女性の誇り高い心の支えともなっていたようです。一方では、封建制度下における女性を、精神的にも外観的にも人妻として制約するための一つの手段でもありました。

お歯黒の風習は、明治政府の近代化政策により、髷や帯刀と共に禁止され、次第に無くなっていきました。そして、大正時代にはほぼ全国からお歯黒の風習は無くなりました。

日本で初の歯科医師の誕生

日本で初めて歯科医師が誕生したのが、701年といわれています。日本で最も古い法律である大宝律令や養老律令の中に「医疾令」という法例があり、歯は耳・口・目とまとめてひとつの診療科として医師が治療を行なうこと、と明記されました。

中世日本における歯科治療

中世日本(鎌倉時代と室町時代を合わせたおよそ4世紀の期間)では、口内専門の治療医がいて治療を行なっていましたが、その技術は秘伝で他者に伝えられることはありませんでした。しかも、治療の対象は上流階級に限られており、庶民の歯科治療は行なってはいませんでした。また、この時代の歯科治療は抜歯が中心でした。

近世日本における歯科治療

現代のように甘味料が豊富なわけではなく質素な食生活をしていたため、今ほど虫歯になる人は多くはなかった近世日本(室町時代から江戸時代が終わるまでの期間)における歯科治療では、虫歯を削るという発想はなかったため、どうしようもないほどの痛みを治すためには、歯を抜くしかなかったのです。

つまり、歯科医師の治療の基本は歯を抜くことだったのです。当時は麻酔などありませんので、激しい痛みを伴いました。痛みをごまかすために、お酒で感覚を鈍くさせた上で抜くこともあったようです。さらに、この頃には痛み止めによって一時的に虫歯を治療する方法もとられました。治療といっても痛みを小さくするだけなので、根本的には治したことにはなりませんでした。主に薬としては、丁字油や木炭、そして漢方薬も使われていました。

また、江戸時代には入れ歯師という職業があり、歯科医師とは異なり、入れ歯作りを専門に行う職人のことを入れ歯師といいました。元々は、中世日本から続く木の仏像彫り師などが始めたと言われていますが、江戸時代になって仏像彫刻の仕事が減り、歯を彫る仕事を請け負うようになったのです。入れ歯の材料は木ですが、歯茎の形に合わせて精巧に作られており、金属のバネを入れて隣の歯に引っかけて使う、現代の歯科治療のような方法もすでに発案されていました。また歯の裏に穴をあけて糸を通して縛るという方法もありました。

同時期のヨーロッパの治療と比べると、遅れてはいましたが抜歯や入れ歯の技術は優れていたと言われています。入れ歯は、職人の手によって木製の入れ歯が作られていました。

しかし歯科医で治療を受けることができたのは、一部の上流階級に限られていました。そのため、一般の町人たちは受けることができませんでした。

一般の町人たちは歯痛を抑えるために、治療以外の方法に頼っていました。 一つは、神仏に祈願するいわゆる「神頼み」です。神社仏閣にお参りし、お祓いや願掛けをしたり、お守りや護符などのお札を買って治そうとしました。他にも、病封じのおまじないを唱えたり、針やお灸での治療や、民間療法では、生薬を飲む治療や梅干しを患部に貼ったり、大根おろしの汁を歯茎に塗るなど、さまざまな方法で歯を治そうとしていました。

また、虫歯予防のための房楊枝(ふさようじ)とよばれる歯ブラシを使った歯みがきもこの頃から行われていました。房楊枝とは、柳や杉、竹などで作られた12~18cmほどの棒の先を叩いて潰し、ブラシ状にしたもので、そこにハッカやトウガラシなどを混ぜ合わせた薬味をつけて磨いていました。

「木の文化」といわれる日本ならではの方法で虫歯予防をしていたのです。

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